慢性期病院での体験談②

こんにちは。

 

少し日が空きましたが、前回の続きを書いていこうと思います。

そして、この記事を読んでくださっている方がちらほら見られて嬉しい限りです。

 

それからというもの、出勤はしていましたが心ここにあらずの状態でした。

 

ここで、絶句級のエピソードを思い出せる限り一気に書き出していきます。

 

・夜勤で出勤したときに、日勤でおそらく一回も痰吸引をしていない寝たきりの患者がいた。(吸引で使うボトルを、日勤で最初に使う人が開封するのだが栓がされたままだった。)

 →呼吸状態は安定していたが、すぐに吸引してみると普段の倍量の痰が引けた。

 

・昼休憩明け、便秘が続く患者に浣腸を実施、しかし夕方まで放置されていた。

本来、浣腸をした看護師がその後のおむつ交換も担当するようになっていた。

そしてその看護師が、不倫ペアの女のほう。気づいた私が報告すると笑ってごまかしていた。

 

・これは医療的な話になりますが、鼻に栄養チューブが入っている患者さん。

昼ごはんだけ病院食を口から食べていたのですが、夕食分の経管栄養は医師の指示で5時間以上間隔を開けてとのこと。

しかし、昼の3時過ぎにはすでに看護師が栄養を流していた。

(医師は午後から病棟に来ないためそのことを知らない)

 

 

・昼休憩中、不倫ペアが空床の個室で休んでいる。

(中で何をしているかは不明。ちなみに隣の病室には入院中の患者がいる)

 

・夜勤中、隠れて喫煙しているスタッフが複数いる。

(煙感知器がついてないスペースがあり、その情報を共有している。元々、中庭で吸っていたらしいが他のスタッフがチクったとのこと)

 

・他の病棟ではまずありえないことだが、病棟内に監視カメラがいくつか取り付けられている。

(勤務中にお菓子を食べるスタッフ、休憩時間外で寝るスタッフがいるなどの理由らしいが未だ解明されていない)

ちなみにその監視カメラを見れるのは事務長のみ。

 

 

・これは警察沙汰レベルの話。夜勤中、寝たきり患者の不穏がうるさいのを理由に、その患者をうつ伏せ状態にした。→呼吸が止まりかけ意識も薄くなっていた。

(やったのは介護士、その患者の隣の空きベッドで寝ていたが寝れなかったため。→ご家族に報告、介護士は退職処分、夜勤でペアだった看護師も関与した可能性があるためしばらく夜勤は中止)

これもはっきり解明されていないが、恐らく介護士だけの犯行。

 

もはやすべてが闇。

 

 

 

読んでくれている方、気分を害してすみません。

私自身も書いてて疲れたのでこの辺にしておきます。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

慢性期病院での体験談①

こんにちは。くもりあめです。

 

東京オリンピック、女子ソフトボールの優勝、感動しました。

大事な場面でヒットを打った後、選手の安堵している笑顔がいいですよね。

 

 

さて今回は、転職の先にたどり着いた慢性期病院での体験談を書いていこうと思います。

 

 同業者の方なら理解が早いかと思いますが、忙しさの度合いが全く違いました。

 

こなす業務はそれなりにあるのですが、急性期のようにイレギュラーな出来事がほとんど起こりません。さらに定時で帰れていました。

 

ただ、体力的にかなり負担がかかりました。

ほとんどの方が寝たきりまたは要介助のため、痰吸引やおむつ交換(体位交換も一緒にする)、経管栄養など。夜勤ではこれを2人で全部屋しなくてはなりません。

 

体力的な負担だけならまだよかったのですが、、、

 

次第にスタッフのいい加減さが目に付くようになってきました。

夜勤で来た時に、日勤者のやり残しがほぼ毎回あるような状態でした。

私の病院では、チェックリストのようなものがなく、やり残しが度々起こるわけです。

 

スタッフの中には、残務に気づいていても見て見ぬふりするバカ野郎もいました。

 

 

そしてすべての黒幕は上司。

誰かが気づいて報告しても「置いといていいよ」と言いそのまま退勤。

病棟では師長にあたる人物なんですが、うちでは男性の師長でした。この師長が闇まみれのクズ人間でした。

 

妻子がいるにも関わらず、同じ病棟の女性スタッフと不倫をしていました。

その女性も相手が既婚であることを知っており、周りのスタッフも全員この不倫関係を知っている状態でした。

 

不倫ペアが日勤で揃っている日にはもうお手上げ状態。

女が常に師長にくっついて行動しているのです。マンパワーが1人分無いようなものです。もちろん師長は満更でもない様子でした。

 

その女は、手が空いているのに私に業務を押し付けてきたこともありました。

うちの病棟では業務分担制のような形をとっていましたが、もはやその肩書きだけ存在するようなもの。

この業務は誰がするとかっていう決まりがなかったのです。

 

ある時には病室を締め切って、他のスタッフを呼んで世間話をしていたこともありました。

寝たきりの患者であることをいいことに、患者が訴えられないのをいいことに、、、

憤りさえ抱きます。でもみんな見て見ぬふり。

 

師長があんなもんですから、だれが相談しようが筒抜け状態。

入職時に師長から、何かあったら俺に相談して。と言われたのがバカらしいです。

 

 

他にもまだまだ書きたいことはあるのですが、次回にします。

ところどころ表現が荒くなっていますがお許しください。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

ご無沙汰いたしております

こんにちは。お久しぶりです。

 

ブログの更新が完全に止まっていましたね、もはや未亡人となっていました。

 

これまでの経過を簡単に説明すると、あの後、適応障害からうつ病と診断され、3か月ほどでうつ病から抜け出し、地元に戻り慢性期病院に転職をしておりました。

 

気まぐれでまたこうやって更新した訳なんですが、、、

 

結局、その慢性期病院も2年も持たず退職、現在はパート勤務として子どもと関わる仕事をしております。

 

このページを見てくれた方、感謝です。

たった1人にでも息抜きの時間になっていただければ幸いです。

 

さて、うつ病について、、、

本当は慢性期での書きたい話も山ほどあるのですが次回に。

 

徐々に薬を減量していき治療が終わったのですが、(正確には地元に戻るので主治医に自分のタイミングで薬やめていいよと言われた)

 

まあその内服治療が個人的にかなり辛くて。

前回までの記事に書いたかもしれませんが、薬が過剰に効きすぎて気分がずっと高揚している状態でした。

 

気分が高揚すると、私の場合、人に会いたくて仕方なかったのです。

 

独身のため妻がいるわけではなく、彼女はいましたが遠距離。友達も地元にしかいませんでした。

しかし、近くに兄妹が住んでいたので、度々部屋に上がり込んでいました。

たった数日、兄妹に会えなかっただけで1人で泣いてしまったこともありました。

 

今思えば情緒がおかしかったなあと、、、兄妹とそんなに仲が良いわけでもないのに。

 

うつ病を経験していま思うことは、精神科に行くんじゃなかった。ということです。

薬を飲まなければ、あんなに辛い思いしなかったのに。

 

しっかりごはんを食べて、しっかり寝る、自分のペースで生活していれば、時間はかかれど自力でうつから抜け出せていたのではないか、と。

 

よく薬物使用した人とかが「自分が自分じゃなくなる感覚」と言いますがまさにそう。

抗うつ剤ですが、私の場合は副作用として、気分高揚がそのような感覚になったのです。

 

しかし私の経験はあくまで一例、心がしんどい時は誰かに頼る、これが1番だと思う。

もし今、同じような状況の人いれば、医師に減量できるか相談してみてください。

 

長くなったのでこの辺で。

つらつら書いた読みにくい文章でしたが、最後までありがとうございました。

たんぱく質と鉄分でうつ病改善

こんにちは。

 

先日、本屋に行ったんですが、

 

うつ病改善には、「たんぱく質」と「鉄分」が大切という見出しの本を見つけました。

 

それらの栄養素には、 うつ病に関わる、脳内での神経伝達物質の生成や運搬に必要で、症状改善の効果があり、

 

不足すると倦怠感やめまい、ふらつき感、不安などといったうつ症状がなかなか治らないとの内容でした。

 

周りの人から「ごはんは食べれてる?」と必ず聞かれる理由は、ここに意味があったのですね。

すごく納得できる内容でした。

 

しかし、うつ病改善=ごはんをしっかり食べるとはいえ、

お米や麺類などの糖質ばかりを摂取しても、むしろ他の栄養素が不足するので逆効果だそうです。

 

確かに、私自身もごはんは食べれていたのですが、糖質ばかりだった...

 

そこで最近、意識的に肉や卵を摂取するようになったのですが、

 

前よりは朝起きるのも少し楽で、日中のだるさもなんとなく軽くなった感じはあります。

 

やっぱり食事の力ってすごい...

 

これからも意識して摂取するようにしたいと思います。

 

 

また更新します。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

兄姉パワーを実感

こんにちは。

 

最近の調子ですが、気分がよくなっていくにつれ、

 

恥ずかしながら、ここ1週間ほど、1人でいるのが寂しくて仕方ないのです。

 

不安だったり、ネガティブな思考がぐるぐる回ったり、

とにかく誰か、知らない人でもいい、誰かに会っていないと得体の知れない不安が襲うのです。

 

今までは誰とも会いたくないはずだったのですが...

 

自分でも人が変わってしまった自覚はあります。

 

先日、受診日だったので

先生にそのことを正直に打ち明けてみたのですが、

うつ病の経過からくるものかどうかは判断し難い、とのことでした。

 

誰か私と同じ経験をしている人はいないのだろうか...

 

誰かに会って話がしたい。その一心で、ネットでコミュニティを探したりもしました。

 

でもこのそわそわした感覚にも限界がきたので、

近くに住む兄姉を頼ることにしました。

 

両親には、私がうつ病であることは話しており、母親づてに私の情報を聞いていた姉。

兄は少し遠いのですが、2人とも快く引き受けてくれました。

 

3人で食事に行くことに。

 

これまでの私の過ごし方や、兄姉の近況報告、いろいろ話しました。

こんなに本音で話したのはいつぶりだろう。

 

兄の知り合いにも、私と同じようなうつ症状と格闘していた人がいるらしく、

今では転職して普通に復帰している人もいたり。

 

(ああ...私だけじゃないんだ、意外とうつになる人って多いんだな。)

 

わたしが見ている世界は狭かった、そう感じました。

 

ありがとう兄姉。また頼らせてもらいます。

 

 

また更新します。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

先が見えない日々

こんにちは。

 

うつ病と診断されて約3週間が経ちました。休職してちょうど1か月。

 

抗うつ薬の効果が効いているおかげか、気分はよくなってきている気がします。

普通に外を出歩くことはできるのですが、以前のようにいろんな場所に行く気力はありません。

 

夜になると気分がよく、自分でも調子がいいと感じるようになります。

 

先生によると、抗うつ薬を飲み始めて「退屈だなあ」と感じるようになれば、

回復してきた証拠だそうです。

 

まあ元からインドア派ではあるので、あんまり変わらないけど。

 

 

それと、睡眠薬レンドルミンを飲み始めてからは、

スムーズに寝入ることはできるのですが、目覚めるのは早いままです。

 

でも、これまでに比べたら、寝付けるだけまだいいほうだと思います。

本当は睡眠薬に頼らず寝れるようになりたいのですが...

 

調子を見ながら使っていこうと思います。

 

退屈だと感じる一方で、

最近は今後のことをちょくちょく考えるようになりました。

 

街を歩いていても、

 

みんな当たり前のように働いている。

わたしはその日暮らしをしているだけでいいのか?

時間を無駄に過ごしているだけでは? 

早く復帰しなければ...

 

そんなことを思うたびに、不安になり、ため息がでる。

 

復職すべきか、転職すべきか...

 

転職するにしても、2年目のひよっこが受け入れてもらえるのか...

 

療養型ならやっていける?

いや、わたしはチームプレイができない。褥瘡ケアの知識も技術もない。

 

訪問看護はどうだろう...

 

そもそもわたしは、社会人としての能力がない、当たり前のことができないのに働いていけるのだろうか。

 

師長さんには「そんなことない」って言われたけど、

病棟で働いていた頃の自分を思い出すと、看護師という職業に嫌気が差してくる。

 

でも看護師の資格しかもっていない、ほかの職種で働くことも無理そう。

これからどうする自分?

 

そうだ、占いにでもすがってみようか。

 

いや、自分がどうしたいか、何がしたいかだ。

 

ああ神様、こんなわたしを認め、受け入れ、道を与えてください。

 

考えるのがしんどい。

 

 

また更新します。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

適応障害の診断をうけました

こんにちは。

 

今回は、前回の続きをお話していこうと思います。

(前回の話はこちらを見ていただければと思います)

 

hanatake912.hatenablog.com

 


探したクリニックは徒歩圏内にあったため、歩いていくことに。 

 

クリニックに着くと、そこは私が想像していたよりも殺風景な印象を受けました。

(そりゃ精神科なんだからあたりまえ)

 

待合室では、

ただ下を見て無気力でいる人もいれば、

落ち着きなく周りをキョロキョロしている人、

付き添いで来たと思われる親子2人でひたすら話し込んでいたり...

いろんな方がいました。

 

しばらく待ったあと、私の名前が呼ばれて先生が待つ部屋に入りました。

 

待っている間は、

(なにから話そう...普通に会話できるかな...)

と不安はあったのですが、先生のほうからポンポン質問を飛ばされ、1つずつ答えていく感じでした。

 

(すごい親切に話聞いてくれる...精神科の先生って、訴えだけ聞いてお薬出すようなあっさりした感じだと思ってた...)←失礼

 

どんな症状かだけでなく、生活環境や家族のことなども、40分間の面談にしてはかなりの情報量を伝えました。

 

しばらく話し込み、先生は、

適応障害といったところが妥当ですね、仕事はしばらく休まないといけません。」

 

適応障害...

国試の勉強で聞いたことがある、といった程度でした。

 

続けて先生は、

「その病院自体があなたにとってストレスなんです、なのでストレスから離れて過ごしていれば、1週間もすれば症状は落ち着いてくると思います。お薬はなしで様子みましょう。」と話されました。

 

1週間後にまた受診することに。

 

クリニックを出て、その日のうちに診断書をもって師長さんのところに行きました。

これから勤務というわけではないのに、病棟までの道中で動悸が強まっていく。

 

いざ師長さんに報告するときは、緊張で頭が痛くなるほどでした。

 

先生と話した内容を伝え、

 

「それは辛かったね、早めに気づいてあげられんくって、ごめんね。」

 

違うんです、誰にも相談しなかった私が悪いんです。

という思いが言葉にならず、首を横に振ることしかできませんでした。

 

 

帰り道もずっと、

(この先どうなるんやろう...)とばかり考えこみ、

不安というより、絶望的な気持ちでした。

 

 

続きはまた更新します。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。